心が苦しく、そして痛むけど、この感情や気持ちをずっと抱きかかえてしまって今でも爆発寸前

皆さんは、苦しい思いをしたことがありますか?

私は、絶賛苦しい思いをしています。

 

周りにこの思いを伝えられる友人もいなければ、家族にも、うまいように伝えたり、言えなかったする。。

そうした状態が長期間にわたって続くと、今度は自分自身を強く責めたり、哀れんだりしてしまう。

反対に、そうしないようにしたとしても、心は自分自身の苦しさを覚えており

「この問題はどうするの?」

と自分に訴えかけて、忘れさせてくれない。

しかし、もうそのような状態では、自分の視界が異常に狭くなってしまい、自分の殻に閉じこもってしまう。

だから、もう誰にも言わなければ、もう孤高の城の完成である。

行動したの?行動したらなにか変わるかもしれない

しかし、希望に向かい不確かな道を歩み進めても何もなかった。

希望に強くしがみついていたらどうだろうか。

いよいよ、命の抵抗をうしなってしまう。

なかには

「電話サービスを使ってください」

「本を読んで、元気だそう」

「娯楽で少し気を休めよう」

このようなことを言われたとしても、自分の心には響かないほど、深い深海にしずんでいるような。自分の殻がいつの間にか厚くなりすぎて外に出れなくなってしまった。

だから、私はこのつらい日々を重い足をあげ歩く。

自分のやりたかったことはこれまでいくつ実践できただろうか?

将来絶対にやりたいこと、成し遂げたかったことを目標にしたのに、なぜ一所懸命その目標に突き進めなかったのだろう?

あぁ、自分は駄目なやつだ

ただ、時間が流れていくのを感じる。

毎朝起きるのがつらくなる。

もう、何もできない自分に絶望し、爆発寸前だ。

今、健康的な人はなんのこっちゃ、と真剣に相手の悩みに耳を傾けない。

耳を傾けたとしても、あまりのも重すぎたら壁をつくってしまう。

このつらさ、痛み、悲しみ、絶望。

これらをどこに運べばいいのだろうか。

今、私には生きがいがない。

つらい日々を1日1日いきている。

「たとえ孤独になったとしても、悪口や罵声を浴びせ続けられても」

だからなんなんだ。

人それぞれ環境が違えば、思考も行動も変わる。

今は、この不確かで、とげがあって、痛々しい道をただサイのように突き進む。

まるで、血を噴き出しながら1歩。また1歩と歩き出す。

周りになんと言われようが、自己実現が全然達成できなくても、この一本道でゴールが見えない道をただ今日もひたむきに歩き続けるしかないのだ。

自分の人生に、春の季節が来れば、必ず冬の季節がくる。

逆もしかり。

あきらめてたまるか。精神が崩れる前にもう一度温かい春の陽気を体全体に浴びたい。

これを心の隅に置いて、今日も血を噴き出す。