人生山あり谷あり

こんにちは。村人の日記です。

 

最近寒くなってきましたが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。

 

早速本題に入ると、人生は山あり谷ありとうっすら感じるようになってきました。前は毎日絶望する日々が続いていましたが、ある日から自分に自信が持てたという感じで現在では前向きに生きています。

もちろん。しんどい時には本を何冊も読みました。が、私はたくさん本を読んだからと言って人生が好転するわけではありませんでした。どの本も自分の心や行動を変えよう。みたいなフレーズを多く目にしました。

しかし、本当につらいときは自分の殻にこもってこの世は終わりだ。自分には生きる価値なんてこれっぽっちもない、と強く感じてしまいますw

ですが、冒頭に書いた通り「人生は山あり谷あり」です。

どんだけ頑張ったって、どれだけ惨めになったっていたとしても、人間は春の暖かい陽気に包まれる季節がこれば、寒くてつらい冬がやってきます。

この言葉では、ずっと冬の季節にいる人には深く届きません。ですが、私も長い冬の季節が終わり、ようやく春の兆しがみえてきたところです。しかし、この季節の変わり目は、自分の意図してないときに変わるのが大概です。だからしんどいことに深く注力したり、考え込んでしまうのはまるで、自ら穴に入り込んでいるのに、その穴を自ら掘り下げているのと同じです。

ですから、あれこれと悩んだり考え込んだりすることは悪いと思いませんし、ごく自然なことです。ですが、苦しい状態の自分の首をさらに絞めに行く必要はないと思います。

 

逆に、今春の季節にいる人もいずれ冬の季節がやってきます。

 

ですから、これは自然なことだと割り切ってゆったり毎日を過ごすのも案外悪くないかも知れません。

ゆるキャンの映画みてきた

先日、ゆるキャンの映画を見てきました。

 

元々1期からアニメで見てきたのですが、作品独自の雰囲気がとても居心地がよく、今の私の好きな作品の中の一つとなっています。

 

ゆるキャンの映画が決定したとき、とてもうれしかったですが映画公開初日は日程が合わず、そのままぐだぐだしてたらもう10月になってました、、、

 

ですが、やはりせっかく自分の好きな作品なのでいざ足を運んでみてみると、とても素晴らしい作品でした。が、、、

 

映画を見た人の中には、社会人のキャラクターと高校生のギャップがあって、今回の映画をうけつけない。という人たちがいたそうですが、私は特に何も感じませんでした。

 

もちろん、自分の体験と映画の内容を重ねたりすると違ってたりするかも知れませんが、、、

 

ですが、ゆるキャンの特徴的であるまったりとした時間が映画でもアニメと同じ体験が出来てよかったです!!

 

しかし、まったりしている作品なので、映画館でみるものではない、アクティブな映画を期待してら、物足りなく感じるかも知れません。

 

ゆるキャンの映画公開から3ヶ月して見に行きましたが、とても素晴らしい作品でした!!!

心が苦しく、そして痛むけど、この感情や気持ちをずっと抱きかかえてしまって今でも爆発寸前

皆さんは、苦しい思いをしたことがありますか?

私は、絶賛苦しい思いをしています。

 

周りにこの思いを伝えられる友人もいなければ、家族にも、うまいように伝えたり、言えなかったする。。

そうした状態が長期間にわたって続くと、今度は自分自身を強く責めたり、哀れんだりしてしまう。

反対に、そうしないようにしたとしても、心は自分自身の苦しさを覚えており

「この問題はどうするの?」

と自分に訴えかけて、忘れさせてくれない。

しかし、もうそのような状態では、自分の視界が異常に狭くなってしまい、自分の殻に閉じこもってしまう。

だから、もう誰にも言わなければ、もう孤高の城の完成である。

行動したの?行動したらなにか変わるかもしれない

しかし、希望に向かい不確かな道を歩み進めても何もなかった。

希望に強くしがみついていたらどうだろうか。

いよいよ、命の抵抗をうしなってしまう。

なかには

「電話サービスを使ってください」

「本を読んで、元気だそう」

「娯楽で少し気を休めよう」

このようなことを言われたとしても、自分の心には響かないほど、深い深海にしずんでいるような。自分の殻がいつの間にか厚くなりすぎて外に出れなくなってしまった。

だから、私はこのつらい日々を重い足をあげ歩く。

自分のやりたかったことはこれまでいくつ実践できただろうか?

将来絶対にやりたいこと、成し遂げたかったことを目標にしたのに、なぜ一所懸命その目標に突き進めなかったのだろう?

あぁ、自分は駄目なやつだ

ただ、時間が流れていくのを感じる。

毎朝起きるのがつらくなる。

もう、何もできない自分に絶望し、爆発寸前だ。

今、健康的な人はなんのこっちゃ、と真剣に相手の悩みに耳を傾けない。

耳を傾けたとしても、あまりのも重すぎたら壁をつくってしまう。

このつらさ、痛み、悲しみ、絶望。

これらをどこに運べばいいのだろうか。

今、私には生きがいがない。

つらい日々を1日1日いきている。

「たとえ孤独になったとしても、悪口や罵声を浴びせ続けられても」

だからなんなんだ。

人それぞれ環境が違えば、思考も行動も変わる。

今は、この不確かで、とげがあって、痛々しい道をただサイのように突き進む。

まるで、血を噴き出しながら1歩。また1歩と歩き出す。

周りになんと言われようが、自己実現が全然達成できなくても、この一本道でゴールが見えない道をただ今日もひたむきに歩き続けるしかないのだ。

自分の人生に、春の季節が来れば、必ず冬の季節がくる。

逆もしかり。

あきらめてたまるか。精神が崩れる前にもう一度温かい春の陽気を体全体に浴びたい。

これを心の隅に置いて、今日も血を噴き出す。

欲望に負けてしまう

こんにちは。村人の日記です。今回は、欲望について書いていこうと思います。欲望には限りがありません。今やることがあるのに、どうしても欲望や堕落に突き動かされている方に是非見て頂きたいです。健康診断で要検査が出たけどハンバーガーうめぇの写真

 

・目次

 

快楽は程々がよい

皆さんは、休みの日とかに思い切り羽を伸ばした経験ありますか?

 

好きなゲームに、動画、音楽。どれもずっと見たり、聞いたりしたいものです。ですが、これらのことを必要以上に時間をかけすぎて、今すぐやるべきものが目の前にあると分かっているのにどうしても快楽から離れられず、快楽にしがみついてしまいすぎたという経験をされた方はいませんか?

 

快楽。つまり娯楽は、人を楽しくされる反面、大事なことを忘れさせ、依存の状態にしてしまう性質を持っています。だからといって、娯楽なしの人生なんてとても面白くありません。つまり、程々に娯楽を楽しむのがよいのです。

 

 

抜け出せない依存

明日から、これまでの依存した習慣を抜けだそう。そう思っていても翌日は、前日と同じことを繰り返してしまった。変えようと思っていても、これまでの習慣と、脳に染みついた快楽の味。なかなかすぐに自分を変えることは、とても難しいです。

 

しかし、これまでの悪習慣を打破する方法が2つあります。

 

1つ目は、ちょっとずつ変えていくという方法です。

 

なんだ。この方法ならだれでもできるじゃん。

 

しかし、毎日の継続は難しいです。ですがこの方法のいいところは、徐々にハードル設定を高くしていくということです。例えば、マリオのステージが1面から難しく無いように、最初は簡単なことから初めてみましょう。

 

逆に、思い切った目標は、なかなかハードルが高すぎて、最初の1歩を踏み込めず、結局行動しない人が多数います。ですから、はじめは、こんなのかよ。と思っても、少しずつ悪習慣を取り除いていきましょう。

 

2つ目は、快楽に手を出す前に一度冷静に考えてみる。ということです。

 

この方法は、思考力も身につきます。というのも例えば、

再来週テストがある。だけど、まだ全然手をつけてない。テスト勉強しないといけないけど、いつも通りゲームやろうかな。

 

この際に、すぐにゲーム機に手を出すのではなく、一度よく考えて、本当に今の自分に大切なものは何だったっけ?と立ち止まって、考えることにより。衝動的に快楽に突き動かされるのではなく、自分の思考力で快楽に立ち向かうことができます。

 

 

最後に、快楽は人を興奮させ、大事なものを忘れさせる面があります。昔、エピクテトスはつぎのように言いました。

 

毎日の少しの苦痛を選択し続けたものが、今後起こる大きな苦痛や困難を軽減することができる。

 

皆さんの頭の中にも、本当に今自分がしたいことがあるはずです。ただスマホやゲーム、音楽にふけることもいいですが、本当にやりたいことに突き進むこともいいのではないかと考えます。

 

それでは、ありがとうございました。

内向的 友達

こんにちは。村人の日記です。今回は、内向的だった私ですが、実際に何人かの友達をつくりました。そのことを今回は振り替えつつ、なぜ内向的だった私に友達が何人かできたか書いていこうと思います。

 

1 大きな態度をとらなかったこと

 

1つ目に、大きな態度をとらなかったことです。私は、大きな態度をとる方と接することが苦手なので、自分自身大きな態度をとりませんでした。実際に周りを見渡してみると、大きな態度をとる人は、大きな態度をとる人たちと関わり、そういう態度が苦手なので人たちは、その人たちで自然にコミュニティが出来上がってます。

 

2 相手に最大の関心を寄せる

 

2つ目に、相手に最大の関心を寄せることです。人間は、自分のことにしか頭にないそうです。つまり、相手に関心をもち、たくさん相手のことについて話しているといつのまにか親しい関係性になっていました。

 

3 自分を偽らない

 

3つ目に、自分を偽らないことです。積極的に友達を作りに行くことはいいことですが、その際自分を偽ると、自分自身後々しんどくなってしまいます。だから自分のありのままをさらけ出すことが、お互いに信用できるし、実際にそれで私も無理なく友達を何人か作れました。

 

他にも、たくさんの方法があると思いますが、こんな内向的だった私にも友達が出来ました。内向的はよくない。ということを気にせず、どんどん人と関わって何人か友達を作る参考になったら幸いです。

 

それでは、ありがとうございました。

ソシャゲー中毒

最近、ソシャゲー離れが進んでいますが、未だソシャゲーをやり続けている人います。つまり、ソシャゲーの二極化が進んでいます。今回は、ソシャゲーをやめたくても、なかなかやめれない。そんな人に向けて書いていきます。

ソシャゲーとは

ソシャゲーとは、スマホ内で気軽に遊べるスマホゲームのことです。最近では、ウマ娘、モンスト、プロスピaなどがはやっていますよね。

 

ソシャゲーの仕組み

ソシャゲーは、基本的にユーザーからいかに毎日のログイン、長時間のプレイ時間をとれるかを第一においています。というのも、プレイ時間がふえるとその分課金するお金が増える傾向があるそうです。

 

私たちユーザーは、これらのことを頭の片隅に置いておかなければなりません。最近では、ソシャゲーのイベント、ログインが義務のように感じる人が増えてきました。これらの人も、薄々ソシャゲーの仕組みにうんざりし、飽きてしまいます。

 

しかし、ソシャゲーを毎日ログインしていると、ユーザーの1日の習慣にソシャゲーを行う時間が毎回確保されており、ソシャゲーをやめることは、今ある習慣を取り除くことと同じですから、なかなかソシャゲーをやめれず、中毒のような状態になってしまいます。

 

これからの道

これからは、ソシャゲーに対して3つの道があると思います。

・ソシャゲーをこれからも楽しむ道

・ソシャゲーをやめようと思っても、なかなか辞めず、だらだら歩く道

・きっぱりとソシャゲーを辞める道

あなたは今この岐路に立っていると思います。上記以外にも道はたくさんありますが、あなたは、これからのどの道を歩いていきますか?

 

それでは、ありがとうございました。

自殺について

こんにちは。村人の日記です。今回は自殺についてを書いていこうと思います。今回特にこの記事を見て欲しい人は

・今鬱でしんどく、悩まれている方

・この世に、希望を失ってしまっている方

・現在の状況に悩まれている方

現在、私も軽度の鬱の状況ですが、今の自分の状況を打破するためにも書いていきます。

・目次

必要以上に自分を苦しめている

一つ目に、過剰に自分を苦しめていないか?ということです。ある物事を経験したときに、私たちはよくもわるくも自分次第でその状況を意識的に変えることが出来ます。しかし、私も含め多くの人は、このようなことが出来ません。ですが、悲しい状況の中でも、もう必要以上に自分を苦しめないでください。余計に精神的にしんどくなるだけですから。

 

将来に何の価値も持てなくなった

 

もう私には、この世に生きていたって何もいいことがないのではないか。現在の私が思ってしまっていることです。皆さんはどうでしょうか?生きることが、だんだんとつらくなっていきますよね。もう私には無理だと。

 

そんなことを考えた次の朝の目覚めは災厄です。なんか起きるだけでもしんどいです。まして、学校や仕事にいくのであればもっとしんどいです。そんな毎日を過ごしていると、これからの自分の将来に自信をもつことが出来なくなります。

 

ただ「生きているだけで丸儲け」

この言葉は、明石家さんまさんが言った言葉です。たしかに、その言葉通りかもしれないけど、私は今猛烈に鬱になっているのかその言葉を信じることができません。

 

鬱になると、孤独で閉じこもってしまう

私の今の状態は、一人で閉じこもってしまう場面が増えました。ただ引きこもっているだけでは、何も解決しないことが分かっているのに、、、ある人はさっさと外にでろよ。というかもしれません。鬱になると自分でからを周りに作ってしまい、外に出ることだけでも、ハードルが高くなります。もう、しんどいのです。

 

ですが、自分の殻の中に閉じこもってしまうのは非常に危険です。本当にしんどくても他人と関わりを自分から閉じにいくような行為だけは絶対にしないでください。ただ、自分を苦しめる人、貶める人とは、距離をとってください。

 

将来の自分を思い浮かべ、ただその物事にゆっくり、血がなんども吹き上がっても前に進む

この社会はつらいです。今の多くの人は自分を偽って暮らしている方もいます。いま、鬱の症状で悩まれている方もそのつらさにやられてしまっているかともいます。この記事での鬱に対する結論は精神論で読者をねじ伏せたいわけではありません。

 

私は、今鬱になっている人は、自分の純粋な心の赴くままに行動をしてきた方が多いと思います。ですが、世間からの冷たい目線や、周りとのズレによるいじめによって自分の殻に閉じこもりたくなりますが、一度よく考えてみてください。

 

私がすきなように生きるには、他人とのズレがあって当然なのです。夜と霧を書かれたフランクル先生は、人生に対して。

私たち自身が生きる意味を神様に聞くのではない、神様から日々困難な物事を私たちに与えて、あなたはこの困難にどう行動する?と聞かれているのです。

この言葉はやはり、精神論になってしまったかも知れませんが、私はフランクル先生の言葉を信じ、今つらい状況を打破するためにも日々その困難な課題に対して精一杯の自分の行動で、自分自信に、そして神様に見てもらえるように、この今ある鬱に血を吹き出しながらも、サイのように一歩ずつ、もちろんしんどいです。しかし、自分自身が変わらなければなにも変わりません。今すぐにこの状況を打破したい方は、環境を変えましょう。するとがらりと自分自身に変化がおこるでしょう。

 

私は、まだ最初の一歩が怖く、なかなか踏み出せません。こんな臆病者の記事を最後までみてくださる方、一緒に一歩踏み出しませんか?

 

最後まで見ていただきありがとうございました。